古墳時代の人々の集落や建物(竪穴建物と平地建物)

古墳時代となると、よく取り上げられるのは、前方後円墳とその出土品などではないでしょうか?

古墳は、簡単に言えば、偉い人のお墓であり、古墳時代も、縄文時代、弥生時代と同じ、偉い人のほか、庶民と言える人々も生活していました。

では、古墳時代の人たちって、どういう生活をしていたんでしょうか?

蘇る古墳時代のムラ

群馬県渋川市には、ふたつの代表的な遺跡「黒井峯遺跡」と「中筋遺跡」という遺跡があります。

群馬県にそびえ立つ「榛名山」の北東に位置するこのふたつの遺跡は、黒井峯遺跡は、榛名山の噴火により降ってきた軽石によりパックされた遺跡で、昭和後期に、軽石を取り除いて、農業政策の計画時に発見された遺跡です。

榛名山の噴火の軽石によってパックされていた集落は、ほぼ当時のままの様子を伝える遺跡として、発見された当時は大きな話題になったそうです。

中筋遺跡は、榛名山の噴火の1回目、黒井峯遺跡より先に、火山灰と火砕流により遺跡がパックされ、黒井峯遺跡と同じように、1500年前の当時の様子を伝える遺跡となったのであります。

榛名山の噴火は、3回起きているようで、大きい噴火は2回、最初は西暦500年頃、次はその半世紀後の6世紀中ごろのようです。

北東麓から南東麓にかけ、広範囲に火砕流や軽石が直撃。

その後、大洪水による泥流が、山麓の低地を覆っているようです。

これら榛名山の噴火により当時の様子を伝える遺跡は、イタリアで起きた、ベスビオ火山のポンペイのように、榛名山の噴火「日本のポンペイ」と言われる遺跡となりました。

1500年前の集落、どのような生活をしていたのでしょうか?

では、古墳時代の人々はどういう生活をしていたのでしょうか?

まずは、人々が生活していた住居を見ていきたいと思います。

黒井峯遺跡から発見された集落をみていくと、柵に覆われた中には、「竪穴住居」1つと「平地建物」が複数、そして高床建物(倉庫や祭祀施設)、そして畑などがあったようです。

かみつけの里博物館の模型展示

柵で覆われた建物群は、いまでいう世帯みたいものに相当するもので、こういう柵で覆われた世帯群がいくつもあったようです。

かみつけの里博物館の模型(個々の世帯)
かみつけの里博物館の模型(集落全体)

「竪穴建物」とは、どういう建物なのでしょうか?

私が撮ってきた写真を加工して、竪穴建物をクローズアップさせてみました。

竪穴建物

上から見た感じでは、平べったく、建物の高さなどは、さほどないように思われます。

こんな平べったい感じの家って、どうやって造られているのでしょう、そして、どのようにして中で暮らしているのか、気になるところです。

では、「竪穴建物」は、どのように造られているのでしょうか?

竪穴建物は、サイズ的にはいろいろ差はありますが、平均的にすれば5メートル四方の範囲の地面を、1メートル内外に掘り下げます。

掘り下げたときにできた土を周囲にドーナツ状に盛って、土手(周堤)をつくります。

掘り下げた面を平らな土間に仕上げて、四本の柱穴を掘削し、壁際にはカマドを造り付け、柱穴には主柱を立て、梁、桁を架け、そこに屋根材を受けるための垂木を載せていきます。

垂木は、その下端部を、周堤の内側に置き、上端は、屋根の棟に収斂させていくテント型(伏屋形)になります。

そのあと、一度屋根を草で葺いたあと、周堤の土を寄せるようにして屋根をかぶせ、もう一度その上に草を葺くのであります。

草屋根二層の間に土が挟まれることにより、断熱材の役割をしたと考えられ、この屋根はいわゆる「土屋根」で、最終的に周堤の上面から竪穴の底面までの深さは、1.5メートルほどになります。

竪穴建物内部は、若狭徹さん著「東国から読み解く古墳時代」に、イラストで掲載されています。

若狭徹さん著「東国から読み解く古墳時代」から抜粋

「平地建物」とは、どのような建物なのでしょうか?

次に、平地建物とは、どのようなものだったのでしょうか?

平地建物は、ひとつの単位群に多数みられる、地面を床にした簡素な小屋であり、円形と方形の形をしたものがあります。

円形の平地建物
方形の平地建物

造りとしては、外周に溝を巡らし、ここに細木をパネル状に組んだ壁材を落とし込み、壁材同士を連結させて、屋根を上げた構造のものと、細い柱を地面に打ち込んで立て、そこに壁パネルを固定したのちに、屋根を上げたものがありました。

原則として、屋内に柱を設けない壁立の造りでした。

周囲の雨落ち溝のあり方から、寄棟造りが多かったこともわかっているようです。

若狭徹さん著「東国から読み解く古墳時代」から抜粋

竪穴建物が主に住居だったのにたいして、平地建物はどのような用途に使われていたのでしょうか?

平地建物の用途はさまざまで、まず、住居として、そして、倉庫、家畜用の小屋、鍛冶場をはじめとする作業場などなど。

住居の場合、カマドをもつものあり、生活用具が出土していることも多く、割材や敷物を敷いた土座を有していたようで、黒井峯遺跡などの遺跡からは、屋内に仕切りがいくつも連続して房を分け、各房からは四足獣の足あとが見つかったりしているようです。

古墳時代は、現代よりも寒かった?

古墳時代は、寒冷期であったことが知られています。

竪穴建物は、こうした寒冷期のとき、半地下で土屋根を採用した竪穴建物の中での生活は暖かく、寒冷気候に適合したものだったと思われます。

そして、平地建物は、風通しのよい夏に適した建物だと考えると、竪穴建物は冬用、平地建物は夏用と、使い分けていたのではないか?と言われています。

古墳時代の住居は、かなり快適なお家だったと想像できます。

ちなみに、カマドの技術などは、古墳時代たくさんの渡来人の人々が日本にやってきて、その人たちの持ってきた技術のおかげで、古墳時代以前からあった、床のほぼ真ん中に焚き火をおこすのではなく、火力が上がるカマドを利用したといわれています。

火力が上がることによって、さまざまな調理もできますし、料理のレパートリーも増えたことでしょう。

※参考書籍

タイトルとURLをコピーしました