土偶と埴輪の違いってなんだろう?私なりに簡単に書きました

このような疑問の声を聞きました。

とある人
とある人

土偶と埴輪の違いってなんだろう?土偶と埴輪って同じようなもんじゃないの?

違います!!土偶と埴輪は、全くの別ものです!!

ここで結論でました、全くの別物です。

土偶は縄文時代のもの、埴輪は古墳時代のもの

まず、土偶が登場した時代と、埴輪が登場した時代が違います。

日本の時代区分を見ると、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代・・・と続いていきます。

縄文時代、弥生時代という時代区分は、日本独自のもので、世界的にみると、日本の縄文時代は、旧石器時代になります。

その縄文時代という時代区分に土偶が発見されます。

土偶とは、いまでいうお人形のようなもので、人の形の土偶もあれば、イノシシや犬といった動物の土偶、人の形や動物の形かよくわらかない形のものまで、さまざまな土偶が存在します。

土偶とはなにか?決定的な目的はまだわかりません

土偶とはなにか?と言われたら、決定的な目的は、まだハッキリしていません。

しかし、3つの点で、土偶とは?と整理されています。

  • 自然神像
  • 祖先神像
  • 子供用の玩具

大切なことは、外見上の特徴だ、ということです。

子供用の玩具は、とくに北方寒冷地域に多く、顔つきは平凡、普通で怪異ではなく、大人のマネをしながら学ぶという教育的機能をもっているから、ともいえるようです。

国宝の仮面の女神、キレイに出土する土偶は稀なのです

土偶はなぜ割れた状態で発見されるのか

博物館に行くと、壊れている土偶が展示されていることがあります(ほとんど壊れているといってもいいかも)。

こちらの写真は、中央自動車道の釈迦堂PAから行ける『釈迦堂遺跡博物館』に展示されている土偶です。

とある人
とある人

すごい土偶の数!!

山梨県笛吹市と甲州市にまたがる「釈迦堂遺跡」からは、数多くの土偶が出土しています。

釈迦堂遺跡は、山梨県甲府盆地のほぼ中央に位置する縄文時代中期の遺跡です。

釈迦堂遺跡からは、1116点もの土偶は出土しました。

釈迦堂遺跡博物館に展示されている土偶の数々
ほとんど割れている土偶たち
土偶のパーツといえるようなものがたくさん
どこのパーツでしょうか
キレイな顔で残っている土偶の頭
さまざまな顔の土偶

1116点もの土偶が出土した半分は、土器などの遺物が大量に廃棄された場所でした。

縄文時代の人たちの生活を支えたものといえば土器、といえます。

土器は、人が生まれたときから簡単に作れるものではなく、粘土の採取から、つなぎに使う砂などの混和剤を採取してこね合わせて、一定の形に作り上げて乾燥、注意深く焼き上げるのが土器です。

こうして作る土器ですが、すべて完璧に出来上がるわけはなく、焼き上げのときに割れてしまったり、ヒビが入ったり、水などの液体を入れたときに漏れしてしまったりして、失敗作がたくさんできたことでしょうと思います。

しかも、土器は、作られる時期が限られていました。

そういうところから縄文時代の人たちは、土器づくりの焼きあげのときに、祈るような思いで、土器を作っていたと思われます。

土器が無事に完成できるようにと、土偶に託したのではないか、そんな想いを土偶に託し、無事に完成する願いを込めて、一緒に火にいれたのではないかと考えると、土器破損の身代わりとなって、割れてもいいように、むしろ割れるように作られたのではないかといわれています。

土偶とは、縄文時代の人たちの願いが込められたものだったのです。

埴輪とは?いろいろな形があってレパートリー豊富な焼き物

とある人
とある人

埴輪ってかわいくて、いろいろな形があって、見ていて面白いよね

埴輪と聞いて、どういうものを思い浮かべるでしょうか?

東京国立博物館に展示されている埴輪たちなのですが、誰かに似ているような顔をした人物埴輪を主に思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?

それか、お馬さんの埴輪でしょうか(NHKの某番組の埴輪も思い浮かべるかも)

東京国立博物館に展示されている埴輪
東京国立博物館に展示されている埴輪
東京国立博物館に展示されている埴輪

3世紀後半あたりから、奈良県あたりで、古墳と聞いてよく思い浮かべる前方後円墳が作られるようになります。

前方後円墳のような古墳の周り、または古墳の上に置かれていたのが埴輪です。

埴輪にはどういう役割があったのでしょうか

古墳の規模は、大阪府にある仁徳天皇陵古墳のような大規模な古墳から、小山のような、これって古墳なの?という、小規模の古墳まで、さまざまな大きさの古墳があります。

大きさや形については、ある一定のルールみたいなのがあるのですが、それは置いといて、埴輪にも、古墳の規模によって、置かれていた数、埴輪の種類が違っていました。

土偶は、主に、祈りのために、縄文時代の人たちの願いを込めたものだと説明しましたが、埴輪は、古墳に埋葬された人の生活、威厳、権力などを表現した、みなに知らしめるための道具でした。

古墳時代初期に作られていた埴輪は、円筒埴輪という、筒形の埴輪が最初で、時代がすすむにつれて、人物埴輪、動物埴輪、家形埴輪、盾の埴輪、馬の埴輪など、種類が増えていきます。

さらに、埋葬されていた偉い人の館などを表現した埴輪もありました。

王が巫女に向き合っている様子の埴輪たち

しかも、埴輪が置かれている位置にも、意味があったのです。

適当に埴輪を配置しているわけではありません(笑)

まとめ(個人的感想)

土偶と埴輪の違いは、作られていた時代と、その役割が違うということが、なんとなくわかっていただけたと思います。

土偶の中にも、精巧に緻密に作られたものがありますが、古墳時代くらいになってくると、焼き物の技術が発達し、焼き物の強度が増し、人の背を超えるような巨大なものも、誰が見ても犬、馬とわかりやすいものなどなど、多種多様なものが増えていきます。

個人的なものから、大衆的なものというのか、社会的構造も、大きく変わっていた時代たち。

でも、元をたどれば、縄文時代早期から受け継がれてきた技術であり、役割などの違いがあれど、もとはひとつにつながっているもの、とも考えられるかもしれないと思います。

いろいろな土偶、埴輪があるので、ぜひこの目で、本物を見ていただいてもらえればなと思います。

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