古墳時代と呼ばれる時代が、約350年ほど続くなか、埴輪もほぼそれくらいの期間、さまざまな種類の埴輪が作られます。
前回こちらに書いた、前方後円墳とともに出現した「円筒埴輪」について、そこから、さまざまな形というか種類の埴輪が作られていきます。
例のごとく、自分メモ的なものになりますので、ところどころ間違いがありましても、そこはご了承ください。
弥生時代中期、特殊器台から始まる円筒埴輪
これについては、前回の記事で書いた。
弥生時代中期、王の葬礼や祭祀に用いるための飾り立てた壺と、それを恭しく高く揚げるための器台が出現する。
その後、壺をのせるという機能がなくなり、古墳の装飾具として特化した「円筒埴輪」が確立。
桜井市にある「メスリ山古墳(四世紀初頭)」では、埋葬施設の上の墳頂部を方形に取り囲んで、巨大円筒埴輪が並べられ、円筒埴輪が列状に配置することで、古墳の主を守り、荘厳化する円筒埴輪独自の配列様式が確立される。
円筒埴輪の配列
円筒埴輪は、埋葬施設の墳頂部を取り囲むように配置される。
そのため数百本単位で制作され、古墳に運び込まれるようになった。
一般的な円筒埴輪のサイズは、高さ50センチくらいであり、高さ1メートルほどにもなると、大型品である。
50センチサイズでは、焼き上がりの重さは10キロほどにもなる。
メスリ山古墳の円筒埴輪は、初期の埴輪にもかかわらず、我が国最大の242センチほどにもなる巨大なものがある。
これほどの大きさにもかかわらず、厚みが1~2センチほであるから、工人の熟達した技量を見ることができる。
多量の円筒埴輪を制作し、焼成して運び上げ、墳頂部を取り囲むように配置。
やがて数段に築かれた古墳の平坦面(テラス)毎に、埴輪を列状に配置していく。
円筒埴輪の列の中には、一定間隔で「朝顔形埴輪」が交えられ、アクセントのように配置されるようになる。
家形埴輪・器財埴輪の出現
三世紀中ごろの埴輪の登場から、100年ほど間、円筒埴輪仲間(朝顔形埴輪、壺型埴輪)だけであったが、四世紀中ごろになって、それ以外の埴輪が現れる。
家型の埴輪と、王が所有する器物をかたどった器財埴輪である。
家形埴輪とは、家の形をした埴輪のことである。
家形埴輪は、墳頂に置かれたことが確認できるが、四世紀代の主要な前方後円墳が陵墓に治定されているため、その配置の実態は明らかではない。
奈良県にある「室宮山古墳(238メートル)」では、寄棟造の平地建物、切妻造の高床倉庫、入母屋造の吹き放ちの祭殿と思しき建物などが存在し、その周囲を蓋、盾、靭、冑を組み合わせた盾形埴輪で囲っていたことが明らかになっている。


赤堀茶臼山古墳(群馬県伊勢崎市)では、八棟の家があり、家形埴輪のほか、高坏形埴輪と椅子形埴輪も出土している。
椅子は、高い台の上に緩やかに湾曲した座面をおき、背もたれを配したもので、台や背もたれには、鰭飾りに施すのと同様な精緻な模様が描かれている。
王の座であることが明らかであるが、ここでは椅子だけが存在し、人物が造形されていないことに注意である。
椅子によって「見えない王の存在を示唆する」観念が見てとれる。
形象埴輪は、家、器財、椅子など、王の専有物の存在によって、王そのものの存在を想起させる仕掛けとなっていたのであった。
綿貫観音山古墳に展示されていた「帽子形埴輪」は、貴人の証、被り物の所有を示す器財埴輪である。

人物埴輪はいつごろ出現するのか
埴輪は、円筒埴輪から始まり、四世紀後半から五世紀始め頃には、家形埴輪、器財埴輪などが出現しだし始めますが、埴輪といえば?と連想される「人物埴輪」がまだ出てきておりません。
みなさまが想像する埴輪のイメージ「人物埴輪」は、埴輪の中でもっとも遅く、だいたい五世紀後半あたりから出現し始めます。
盾持ち人埴輪は、人物埴輪でしょうか?
盾形埴輪に頭部を表現した「盾持ち人埴輪」があります。
盾と頭、または、盾と冑と顔の組み合わせで作られており、手足の造形はありません。
盾持ち人埴輪は、四世紀後半、奈良県にある「茅原大塚古墳」の事例が最古であり、人物埴輪は基本的に、群像とその所作による場面表現が重要でありますが、盾持ち人埴輪は、動きを伴いません。
古墳前期から、継続してきた盾形埴輪、前期末に出現してきた甲冑埴輪をベースとして、顔面を付した「器財埴輪」というべきものであるようです。


古墳時代、約350年あまり、いろいろな埴輪が作られていたんだなと、改めて古墳時代って面白いと感じます。
※若狭徹さん著「埴輪は語る」を参考。