前回の続きです。
http://www.azu-kofunmeguri.com/2020/11/16/2020-11-16-yamanashifudokinooka01/
縄文時代、いちばん栄えていたのは、山梨県だったというのがよぉ~くわかりました。
多種多様なデザインの縄文土器。
正直、それだけで私はここ山梨県立考古博物館で、お腹がいっぱいになってしまったのです。
次は、いよいよ古墳時代の出土品を見学することに。
弥生時代の土器など紹介
と、その前に、弥生時代の展示で気になったものをちらほらとご紹介。
縄文土器って、あんなに情熱的な装飾だったのに、弥生時代になると、とてつもなくシンプルになります。
本当に、これが不思議で、装飾の仕方にバリエーションができたからなのか、やっぱり他の方法も試したいとか、大陸からいろいろと入ってきたからその影響とか?そんな風に考えが行きつくのかな?なんてひとり思っていました。
こちらの写真は、櫛だったかな?それで模様をつけた土器。

本当にシンプルです。

私が、これは!と思ったものは、右下にある黒いものがうようよついている木製の棒のようなもの。

正解か不正解かわからないけど、木のところに革??みたいなのが縫い付けられているように見えます。
縫い付けるというか、埋め込まれているのか、よくわからないけど、個人的に勝手に思ったことだけど、すごい技術を持っていたんだなってひとり感心していました。
これが何に使っていたのか知りたいところですね。
古墳時代の出土品(銅鏡など)
そして、ここから古墳時代。
ずいぶんきれいな銅鏡だなあと思っていたら、複製品でした(笑)
そりゃあ、そうですよね。

山梨県立考古博物館の奥には、古墳がちらほらありますが、そこの出土品が展示されています。
だいたいが、複製品です。
この石枕で寝たら、さぞ頭が痛くなるだろうな・・・
なんて思ったけど、生きている人が使うわけではなく、古墳に埋葬された人が使用していたものでした(笑)

石の複製品って、似たような石を見つけてきては、出土品と同じように加工するのでしょうか。
そこらへんも気になるところです。


これをどう見れば、獣や人やいろいろな形に見えるんだろうと、一生懸命に目を見張って見ていたけど、どうにもこうにもよくわからない。。。
古墳の修行が全く足りてない証拠です。。。

こういう大きな腕輪(釧という)をつけていると、さぞ目立つだろうなあと勝手なことを思います。
それがステイタスですから(え?)
スイジガイという貝は、温かい海でとれる貝だったらしいのですが、そのような貝が、山梨県で見つかるだなんて・・・!(たぶん、交易品)
昔の人(古代の人たち)は、私たちが思っている以上に、日本中を行き来し、いろいろな人たちと交流していたのです。
すごいなあ、人間の好奇心なのか、欲望なのか、探求心かもしれないけど、昔の人も現代の人も、そのような心は尽きないのだと思います。

本を読んでいて、よく出てきた「須恵器」ですが、須恵器っていったいなんなんだろうと思っていたけど、ここで解明されました。

現代でも行われている轆轤から窯焼きっていうんですかね?詳しくないけど、それでできた土器というのか、それが須恵器ということでしょうか。
確かにこの光沢感、今っぽい(くは全くないけど)あの縄文土器からすごい進化しています。


ここらへんからちょっと飽きが見えてくる私。
はよ外に出て、古墳を登りたいわいと思ってきてしまう、にわか古墳女子であります(笑)
正直、ぶっちゃけて言ってしまえば、ここでの縄文土器が素晴らしすぎたのと、さきたま史跡の博物館で見た「金錯銘鉄剣」の印象が強すぎてまだ残っている、などなど、理由はこんなところです。
これらの原因で、たぶん飽きがきてしまったのだろうと思いました。。。
失礼極まりない人間である。
しんべいもいるよ(おい)



ここまで見学して、足早に博物館を後にしてしまいました。。。
いまここの博物館で思ったことは、次回の目標は、石室を見学することです。
石室を再現したものでもいいけど、できれば外で現地で生の石室を見てみたい。
私は博物館を後にして、公園内にある古墳を見学しに行きました。
公園内は、木々が紅葉していて、それでいて人が少ない!
さきたま古墳公園もおすすめだったが、ここ曽根丘陵公園もおすすめです。