熱があるうちに?やりたいことはやっといたほうがいいと思い、ついに、にわか古墳女子は(いまも古墳女子という言葉はあるのだろうか)動き出したのであります。
とある日、天気予報で、11月8日は晴れと出ていたので、山登りに行くか、古墳巡りするか悩みましたが、山登りは相方と行くと決めて、ひとり古墳巡りをすることにしました。
どの古墳に行ってきたのかというと、候補にあげていた、埼玉県行田市にある『さきたま古墳群』へと行ってきたのです。
さきたま古墳群とはどんな古墳なのか?以下、簡単ですが、さきたま史跡の博物館野パンフレットから抜粋しました。
『さきたま古墳群』とは、5世紀後半から7世紀はじめごろまでにつくられた9基の大型古墳が群集している。
この時期の古墳群としては、わが国有数の古墳群である。
よく言う「古墳時代」とは、3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指すことが多いらしく、さきたま古墳群も、その時代の中で作られた古墳なのです。
9基のうち8基が前方後円墳のようで、丸墓山古墳は円墳です。
私の家から車で約107キロほど、約2時間くらいで、さきたま古墳群に到着。
ちょっと、朝7時くらいに出る予定だったんだけど、8時に出てしまい、着いて駐車場がだいたい8割ほど埋まっているのを見て「うわ!しまった!やっぱり出遅れた!」と車内で叫びましたが、なんとか空きスペースを見つけて車を停めることができました(駐車場は無料です)
気温も暑くもなく寒くもない、古墳巡り日和です。

古墳を巡る順番は、以下のマップの赤線で示しました。

最初はマップでいう下のほうから歩いて行き、ほぼ9基を見学(外から見たり中に入ったり)していました。
どのように古墳をまわったほうがいいのか、ノープランで来たから、まずは地図が欲しいなと思って、さきたま史跡の博物館のほうへ歩いていきました。
左に行って、丸墓山古墳の方向へ行くひともちらほらいました。

看板も見てみますが、とりあえず、さきたま史跡の博物館だなあと決心です。

愛宕山古墳
博物館の方向へ歩いていくと、左手に愛宕山古墳が見えてきます。

第一村人じゃないけど、第一古墳。
おお~!すごい!古墳の形してるぅ~!ってコーフンしました(笑)(ダジャレだった)
これが、本で読んできた『前方後円墳』というヤツなんですね。

愛宕山古墳は、前方後円墳。
前方後円墳がこんなにも近場で何基もあれば、この場所では、前方後円墳がブームと言えるだろうて。
「ねえ、今度のお墓の形どうする?もち前方後円墳じゃね?」みたいな会話。
庶民の人たちも「え?また前方後円墳なの?どこもかしこも作ってるからって、ワンパターンじゃね?」みたいな会話をしていたかもしれません(笑)

どれくらいの時代からとはわからないけど、古墳は立派な遊び場だったに違いない。
丸墓山古墳なんかは、古墳の上に石田三成が陣をはっちゃうくらいなんだから。
石田くん「あ、ここにちょうど良い山あんじゃん、陣はっちゃおうぜ」みたいな。
見ていると、登りたくなってくる気持ちがわきます。(と言いつつも、古墳に登るのは禁止です)

はにわの館
道路を横断して(信号機あり)まっすぐ進むと、左手に「はにわの館」なる建物があります。

はにわの館では、はにわを作る体験教室が開催されているようです。
入り口には、はにわがたくさん並べられています。

当たり前だと思うけど、人型のはにわが人気だと思います。
どうせつくるなら、人型や馬など表情あるものがいいに決まっているけど、誰かひとりくらいは、円筒埴輪を作っちゃう強者も、たまにはいるのではないでしょうか。
紅葉がきれいだった。
この奥に、さきたま史跡の博物館がある。

瓦塚(かわらづか)古墳
博物館に行く前に、瓦塚古墳に立ち寄ります。

こちらの古墳も前方後円墳です。

地面を見ると、石でできた看板らしきものが見えます。
ブリッジとか、その場所の名前が記されているようです。

ところどこにベンチや東屋があるので、散歩に疲れたら休憩ができるのがうれしい。
(東屋でおじさんが横になって寝ていたけど、気持ちよさそうだと逆に思いました)

移築民家『遠藤家』
古墳だけじゃない、遠藤さん?という方の民家が移築されています。
裏側はけっこうボロボロになっていて、大丈夫かなとちょっと心配になってしまいました・・・

お花か何かが植わっていたけど、昔もこうやって畑でなにか植えて生活していたんだろうなあと、思ってしまいます。

さきたま史跡の博物館

移築民家の反対側に、さきたま史跡の博物館がある。
さきたま史跡の博物館には国宝の「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」があります。
行く前に、この鉄剣の画像を見ていたけど、たぶん歴史の教科書でしか見たことがありませんでした。
金錯銘鉄剣は、鉄剣にきれいに文字が刻まれていて、いまでもはっきり文字を読むことができます。
この文字を、古墳時代(昔はそうは言わないけど)の人が、一生懸命に入れたと思うと、時の流れを感じると同時に、当時の人と現代の人とがつながっているようにも感じて、見ていてとても感動しました。
博物館内は基本、写真撮影禁止(撮影オーケーな博物館もある)国宝の鉄剣なんかは、もちろん禁止です。
博物館の入館料は200円で、200円で国宝が見れるだなんて、なんて安いんだ!って思いました(笑)
博物館を見学し終わったあと、古墳巡り再開です。
奥の山古墳
博物館から道にそって左側に行くと「奥の山古墳」があります。

看板の写真にもあるように、この器のような花瓶にも見えるような土器がおもしろい。
こんな形の土器(って言っていいのかわらかんけど)どうやって使っていたのか、想像もつかないです。

中の山古墳
奥の山古墳の先には、中の山古墳があります。

梅の木かな?よくわからないけど、春になったらいろいろ花が咲いて賑やかそう。

右側にはよく整備されたきれいな公園がある。

公園を一周するため歩きます。

奥の山古墳と、奥に見えるのは鉄砲山古墳です。

雲が少なくなってきたせいもあり、気温が上がり始めました。
厚着をしていたからかもしれないけど、トレーナーはちょっと暑かったかな。



鉄砲山古墳

鉄砲山古墳のふち?を歩いて、博物館の方向へ戻りました。

公園を歩いていると、古墳ができた当時も、人々が古墳の周りを歩いて、四季を感じていたに違いないと思いました。
その当時、四季というものを感じるという感情があったかどうかは私にはわからないけど、今も昔も、のんびりとした時間は変わりないのだろうと思います。
古墳の裏って言っていいのかわからないけど、細い道を歩いていきます。

古い注意書きの看板。
文部省って書いてあるから、昭和かそれ以前からあるのかしら。
文字も、筆文字のような感じでした。

ここにも梅の木のような木々が立ち並んでいました。

遠藤さんのお宅に戻ってきました。
なんか覗き見しているような構図でおもしろいなと思って写真を撮ってみる。

博物館前まで戻ってきました。

ひととおり見学し終わったので、次の丸墓山古墳などを見学するために、駐車場の方向へ戻りました。
丸墓山古墳と稲荷山古墳は、古墳の上に登れます。
あと、将軍山古墳の内部展示が見れるということで、そこもワクワクしながら歩いて行きました。
将軍山古墳は、近くに駐車場がありますが、5台かそこらくらいしか停められないようです(歩いてでも行けます)