ー博物館・美術館ー 新潟市歴史博物館・みなとぴあ

新潟県に興味を持つきっかけとなった「新潟市歴史博物館・みなとぴあ」へ行く

2月20日から一泊二日、新潟市内を観光してきました。

かなり突発的な旅行でしたが、それぞれどこへ行きたいか、事前に決めて、観光をしてきました。

私がリクエストした場所は「新潟市歴史博物館・みなとぴあ」。

「全国の博物館を制覇する!」なんて、無謀な目標を今年からあげていますが、今回の旅行は市内のみなので、市内でいける博物館として、みなとぴあを選びました。

新潟駅から新潟市歴史博物館・みなとぴあへ

上野駅から新潟駅まで新幹線で約2時間半ほど(それぞれの新幹線によりますが)。

新潟市は、日本海近くにある市で、新潟といえば、豪雪地帯、雪が多い県とおもいがちですが、豪雪地帯と呼ばれるところは、主に山間部であり、海よりの新潟市は、雪は降るけど、そこまで多くはない、ということでした(タクシーの運転手さんいわく)

私は、家で旅行の準備をしているとき、雪大丈夫かなあ~なんて心配していたくらいでした(天気予報では大雪警報が)

いざ、新潟駅につくと、外は雨、しかも大雨で、けっこう大変でした。

ガイドブックで、事前に調べていたのですが、市内周遊バスというのがありまして、それを利用して、新潟市観光をしようと思っていたのですが、意外とバス停がどこにあるのか不明、周遊するのに1時間くらいかかる、しかも一方通行ということで、結局私たちは、レンタカーを借りて市内観光をしました。

大雨で博物館の外観は撮れず・・・

企画展も見学したのですが、新潟の歴史を知るなら!ということで、毎度おなじみの常設展を見学したいと思います。

入り口にこの絵が出てきて驚いた

新潟県もまずは縄文時代からスタート。

縄文時代、弥生時代、古墳時代と、順番に時代を重ねていきます。

ただこれはと思ったところは、新潟県の地形です。

あとあと、自分的にこれは!という箇所があるのですが、下の画像でも見えている通り、砂丘、ここが新潟県のおもしろ歴史ポイントだと思います。

説明看板
出土した土器や矢じりなど
土器のアップ
説明書き文
説明看板

この説明看板を読む通り、弥生時代といえば稲作。

しかし、弥生時代と呼ばれる時代の人々は、縄文時代の暮らしを続けていたようです。

触れたので触ってみた
土器が並ぶ

最近の私は、焼き物に興味が出てきました。

焼き物とは、日本各地で作られている、例えば「有田焼」「益子焼」「信楽焼」などの名前で知られている、陶器です。

焼き物の歴史を見てみますと、縄文時代の土器から始まります。

私はそれを知ったとき、そうか!そうだよね、焼き物って、縄文時代の土器、弥生時代の土器、古墳時代の須恵器など、焼き物の歴史を考えたとき、私がいままで各地の博物館などを巡ってきた縄文時代遺跡、古墳時代の古墳など、つながっているところがたくさんあるじゃないか!と思ったとき、私は、ものすごく感動しました。

そう思うと、どんどんいろいろなことが知りたいと思うようになり、しかも、陶器はオンラインストアなどで、手軽に買えるという利点がります。

もちろん、現地の窯元や博物館などに行って、この目で、この肌で感じていきたいと思いました。

すごくないですかね?こうも、つながっていくなんて(こう思うのは私だけかな)

なので、焼き物の博物館に行ったあとは、ここでいろいろとベラベラとしゃべろうかと思っています。

古墳時代の始まり、弥生時代の戦乱がここ新潟の地にまで届いていた

古代の人たちにとって、日本って本当に広い場所だったと思うのですが、私が無知なだけかもしれませんが、ここ北陸の地にまで、この時代、影響が及んでいたんだなと、本当に思わせます。

弥生時代の戦乱が新潟の地にも

面白い古墳が出てきました。

その名も「古津八幡山古墳」です。

こちらの古墳は、円墳の古墳で、頭頂部というか、上の部分が削られてしまっていたため、埋葬施設は発見されなかったという古墳です。

この図を見る限り、上のところがキレイにスパッと失われています。

右側の図を見ると、削られていたのがわかります
古墳平面図

説明文にも書いてあるとおり、こちらの古墳は、新潟県最大規模の古墳となっているようです。

しかも、前方後円墳ではなく、円墳が最大というのが、新潟の特徴を表していると書かれています。

どういうことなのでしょうか、もうちょっと詳しく見てくればよかったな(笑)

削り取られてしまった部分

残念ながら、上のほうは削り取られてしまっています。

もし、削り取られずにそのまま現代にまで残っていたら、どういう埋葬品があったのか、そこも気になります。

日本海をつたってヤマト王権が、この地に古墳をつくった

新潟の地も、ついに古墳時代に突入です。

ここでは、緒立八幡宮古墳を紹介します。

ヤマト王権の登場です

ここ緒立八幡宮古墳は、周囲に葺石がめぐらされていたようで、下の図を見ると、古墳の上に神社があるかたちになっているようです。

古墳の上に神社があるようで、周囲には葺石があるようです

この模型を見るかぎり、古墳の上が平になっています。

神社が建設される前は、どのような古墳だったのでしょうか。

緒立八幡宮古墳の模型
葺石もちゃんと再現されています

サケは越後特有の納税品だった

サケは納税品だった

この説明文の隣に、当時の様子を再現した模型があったと思います。

北海道でも見た模型にもサケがおり、ここ新潟でもサケ漁をする模型が展示されていました。

サケって、北海道のイメージが、とても強かったのですが、昔は、新潟県でもサケがたくさん取れて、それが納税品として扱われていたなんて、良い勉強になりました。

きっと、脂がのっていて、とっても美味しいサケだったに違いありません。

ここの木簡にサケについて書かれている
木簡の説明

墨書土器について、千葉の博物館でも見学した記憶があります(たぶん、このブログに書いてある)

墨書土器は、当時のことをしる文字の資料であり、いま見ても、読めなくもないという文字が多いのが面白いです。

墨書土器

私の中で、和同開珎といえば、思い出すのが埼玉県にある大きい和同開珎です。

確か、山登りの帰りに、大きい和同開珎を見て帰った記憶があります(関係ないけど(笑))

和同開珎
触ることができました

塩の製塩実験の様子を再現した展示です。

こういうふうに、お塩って作られていたんですね。

製塩実験の様子
平安時代の製塩土器

ここ「みなとぴあ」に行く途中で、万代橋(ばんだいばし)を、行きに通過しました。

とっても大きな橋だなと思ってみていたのですが、万代橋は、私も知っている信濃川にかかる橋なのですね。

初代万代橋の模型
説明文

新潟県のお米は、美味しくなかった!?新潟の地は、低湿地が多いのが原因

新潟県といえば、美味しいお米を想像されるかと思います。

しかし、新潟県のお米は「まずい」というのが評判で、その原因は、一年中、田んぼが水に浸かっていたのが原因。

新潟の地は、排水が悪く、稲を植えて、お米を収穫しても、水分がお米に残り、軟米となり、美味しくなったのであります。

そこで、水を海へ流すために、分水工事を行ったのです。

分水工事の様子
分水工事の様子

昔の人の努力によって、いまの新潟のお米は、美味い!美味い!と言われるようになったのです。

この人形を見たとき、心臓が止まるかと思った

新潟の歴史が知りたいなと思いましたら、ぜひ「新潟市歴史博物館・みなとぴあ」へ行ってみてください。

博物館の建物も、見ごたえあります(*^^*)

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