考古学講義の本を読んでいてたら、弥生時代に出てくる銅鐸について書かれてあり、私は銅鐸について感動しました。
この感動した銅鐸について、感動したことを勝手に書いていきたいと思います。
銅鐸と聞いて、どういうものを思い浮かべますか?
こんなこと聞かなくても、みなさんの頭の中には、あの色、あの形のモノが思い浮かべられると思います。

銅鐸にはいろいろなサイズがありますが、こういう大きいものが、地中から発掘されるのですから、それもまた面白いですよね。
銅鐸とは、弥生時代に製造されていた釣鐘型の青銅器で、弥生時代は、青銅や鉄の時代(言い過ぎか)で、金属器を使い始めた時代でもあります。
では、以下私が、考古学講義という本を読んで、勝手に思ったことを述べていきたいと思います。
これまでなかった未知なる金属器が日本にやってくる
確かに、確かにそうでしょ!
それまで見たことも触ったことも金属音も聞いたこともなければ、もしかしたらうわさはあったかもしれないけど、一度も見たことのないピカピカの冷たい、カーンカーンと鳴る金属音、当時の人から見えれば、驚きと恐怖もあったかもしれないが、鮮烈な印象を与えたに違いない金属器。
私も当時の人だったら・・・こんなのを見たら、夜も眠れないと思います。
それまでにない物事や価値観と出会ったとき、人は心を揺り動かされ、祭祀や権力と結びつく
偉い人のお墓に一緒に埋葬されているのが、銅矛や銅剣など。
銅鐸も、祭祀に使われたりしていたし、きっと鉄の音が人々を魅了していたのかもしれません。
銅鐸や金属器を制作するための原材料ってどうやって入手していたの?
そういわれればそうだなと思いました。
銅鐸自体、日本で作られていくが、その原材料ってどこから仕入れていたのでしょうか?
当時は、物々交換であるから、原材料をそれなりにもらうのであれば、それなりに価値のあるものを与えなければならないと思われます。
いちばん効果があったものは(ものと言っていいのかどうかわからないが)生口(せいこう)奴隷のことであります。
奴隷1人を連れていけば、50キロから60キロという青銅が手に入ったのではないかと本には記載されていおり、弥生時代後期には、奴隷階層がいたようである(魏志倭人伝にその記載がある)
現代の感覚からしたら、理解しがたいかもしれませんが・・・
銅鐸について私の感想
2世紀ごろ、盛んに作られた銅鐸ですが、次第に、上のほうにある写真にもある通り大型化していきます。
銅鐸は、鳴らす銅鐸から見る銅鐸へと変わっていったのかもしれません。
しかし、3世紀になるとぱったりと作られなくなります。
しかも、なぜか地面に埋めちゃうという、あんな大きいものも地面に埋めちゃうんだから、不思議ですね。
なんで地面に埋めちゃうのかは、それぞれいろいろな説があるようです。
いま見れば、不思議な銅鐸ですが、当時の人は、外来品、または原材料を確実に入手するところから努力をし、不思議な音色でみなを魅了?する祭祀の道具、でももういいやと思ったら埋めちゃう、そんな謎行動みたいなのが面白いです。
この銅鐸の講を読んでから、東京国立博物館に行けばよかった・・・とちょっと後悔もした私でります。