北黄金貝塚
入江・高砂貝塚
北海道旅行3日目、函館市にある「垣ノ島遺跡」と「大船遺跡」へ行ってきました。
高速道路で、函館方面へ行く途中、「鷲ノ木遺跡」と書かれた看板があるトンネルを通りました。
最初は、大型の竪穴建物のある「大船遺跡」へ
まずは、大船遺跡へ。
ちょっとした丘の上にある(海岸段丘)、縄文時代前期後半から中期の遺跡です。

大船遺跡に着いた時間が9時45分頃、10時からガイドさんが説明しながら案内してくれるという看板を見て、私たちはそこに参加することにしました。
大船遺跡は、縄文の森という、クリの木や鹿の落とし穴などがある森(この日はクマ出没情報が出ていたので封鎖)、竪穴建物が発掘された「縄文のにわ」みたいなところと、大船遺跡管理棟という建物があります。
「縄文のもり」を、ガイドさんが案内してくれるというので、私を含め4人、日差しが強い青空の中、竪穴建物などを見学してきました。

大船遺跡管理棟のとなりには、北黄金貝塚、入江・高砂貝塚などにもありました「石皿」が大量に積まれています。
大船遺跡も、多くの石冠が出土したようです。
大船遺跡や垣ノ島遺跡などの出土品は「函館市縄文文化交流センター」で見ることができます。

いまは石皿のみですが、少し前までは、すり石と石皿をセットで置いておいたそうですが、見学に来る人だいたいの人が、すり石を石皿に、ゴリゴリと擦ってしまうことが多発したため、すり石は撤去されたようです。

大船遺跡の石皿も、両面使われていた形跡があるようです。
管理棟の隣には、「縄文の森」という、クリの木や鹿の落とし穴が見つかった場所があります。
普段は、散歩コースとして、見学できるようなのですが、先ほど書いたように、クマ出没のため、通行禁止になっていました。


では、大船遺跡にある竪穴建物などを見ていきましょう。
復元された竪穴建物は、このように骨組みのような感じの建物が2つ、屋根をつけた竪穴建物1つがあります。

こちらの骨組みの組み立て方は、縄文時代の温暖期のころの骨組みの様子だそうです。


竪穴建物は、入り口から直線的に、炉があり、いちばん奥には祭壇があるそうです。

縄文時代、温暖期のころの炉は、寒冷期に比べると、小さい炉をかまえていたそうです。
しかし、竪穴建物の中もそうですが、かなり大きく見えますね。


大船遺跡にある竪穴建物の特徴は、その大きさではないかと思います。
説明看板にあるように、長さが10メートル近い大型の竪穴建物跡が多く存在し、しかも、2.4メートルを超える深さもある竪穴建物は、他の遺跡にはあまり見られないほどの大きさです。
なぜ、これほどまで深く掘られているのかは、解明されておらず、地域的な特徴といえるのではないか、ということです。



大船遺跡の特徴2つめと言えるのは「重なり合う竪穴建物が多い」ということでしょうか。
重なり合う住居が多く見られるということは、長くここに定住していたということを表しています。

こちらの炉は、大きく作られています。

しかも、竪穴建物の奥が、尖っています。
ガイドさんいわく、竪穴建物の中が手狭になってきたために、ここのお父さん(男性だと思われる)が、家の中を大きく広げた跡ではないかと、言われています。
いまでいう?増築みたいなことですかね(笑)
さらに、竪穴建物の中には、祭壇のようなものがあったのではないかという話がありました。
例えば、海の方向に向かってお祈りすることにより、これからも魚が採れるようになりますように、とか、川のほうを向いて、これからもサケが採れますように、とか、食べ物が採れることに感謝するなど、そのために、建物によって、祭壇の場所みたいなのが違ったと、考えられるとガイドさんに教えていただきました。

大船遺跡から見える海が、とてもキレイでした。
う~ん!眺めが良い!

先ほどの写真で見た、骨組みの竪穴建物を見学します。


先ほどの骨組みの竪穴建物に比べると、若干、木の間隔が狭くなっています。
しかも、分かりにくいと思いますが、竪穴建物の入り口と炉、そして祭壇が一直線になっていません。
ガイドさんいわく、気候などによって、建物を建て替えた?のではないか?ということです。

貝塚とはちょっと違う「盛土遺構(もりつちいこう)」
大船遺跡では、大型な竪穴建物の他、貝塚とはちょっと違う「盛土(もりつち)遺構」を見えることができます。

ガイドさんいわく、熱海市であった土砂崩れのとき「盛土(もりど)」という言葉を頻繫に使われていたのを見て、それと区別するために、盛土(もりつち)という表記にしたそうです。
ちなみに、貝塚と盛土遺構は、若干違うもののようです。

貝塚とは、基本的に、貝のゴミ捨て場のようなところでしたが、縄文時代中期ごろでしょうか、貝塚のある場所から、人骨や土器などの道具類などが、一緒に埋められているようになります。
アイヌの人たちがいう「送り場」のようなもので、精神的文化的な意味合いを併せ持っていたと思われます。

予定時間の30分ちょっとを超えて終わった、ガイドさんの説明でしたが、いろいろなお話を聞けて、とても満足しました。
簡単に、史跡大船遺跡管理棟の見学をし、次の目的地「垣ノ島遺跡」へと向かいました。
垣ノ島遺跡は、函館市縄文文化交流センターの場所にあり、道の駅「南かやべ」も併設されている場所です。
函館市縄文文化交流センターと垣ノ島遺跡へ

垣ノ島遺跡も公園のようになっていて、遺跡の中を歩くことができます。

垣ノ島遺跡は、太平洋を望む海岸段丘のところにあり、景色がとても良い場所にあります。
垣ノ島遺跡は、縄文時代早期の前半から後期の後半の約6000年にわたる生活空間と集落と精神性を示す遺構・遺物を伴った集落遺跡です。
中でも、早期の集落において、住居と墓地が分離して存在しており、その後の集落における機能分化の先駆けを示す、重要なものと位置づけられています。
一方、その後に造られた大規模な盛土遺構は、現代に残された巨大な記念物です。






あとで、函館市縄文文化交流センターに行って、垣ノ島遺跡をはじめ、さまざま遺跡の出土品を見学するのですが、私個人として、垣ノ島遺跡の出土品でこれは!と思ったものは「足形付土版」です。
「足形付土版」は、乳児の足型がついた土版で、大型の合葬墓を中心に、17点も副葬されていました。
これを実際、文化交流センターで見ていたとき、なんとも言えない気持ちになりました。

私たちは、公園内を歩くことはしませんでしたが、北海道ならではの素晴らしい気候(夏限定)のおかげで、とても清々しい遺跡散歩ができると思われます。
では、再び階段を上がり、函館市縄文文化交流センターへ行くことにします。
※参考書籍