考古学講義という本にある第2講「縄文時代に農耕はあったか」を読んでいて、衝撃を受けました。
何が衝撃的だったかというと、タイトルにもあるように「縄文人が農耕をしていた」ということです。
縄文時代の人たちってどういう生活をしていたのか
私だけではないかもしれませんが、学校の授業では、人が定住して作物を育てる時代は、弥生時代の稲作からという、そのような記憶しかないのではないかと思います。
そして授業で受けてきた縄文時代は、そこらへんにいた獣や木の実やらを食べていた時代、みたいな、縄文人には大変失礼な知識しかなかったと思われます。
そのようなことが、考古学講義という本を読んで、縄文人も農耕していたって・・・定住してたってこと?狩りのイメージしかない・・・という、いままで持っていた知識とは違うことが書いてあり、私の中で衝撃が走ったのでありました。
実際に本の内容はどのような感じでしょうか
この本には、最新の研究により、土器に付着していた多数の植物から、栽培植物とその利用方法に関する議論が高まってきていると紹介されています。
まず紹介されているものは漆についてであります。
これも私も知識不足というか教養のなさというべきか、漆って縄文時代から漆の木を管理して育てていただなんて知らなかったのです。
しかも、現代に伝わっている漆工芸の基本は、縄文時代にはほぼ完成していたと書いてあるから、これも驚きです。
漆の主な用途として、木製品や土器、籠状の編み物などの容器を覆う防水塗料や補修材、また接着剤として利用など、幅広く利用されていたようで、東京都の下宅部遺跡(しもやけべいせき)からは、さまざまな漆製品が出土しています。
八国山たいけんの里/東村山市で、その漆製品が見られるようです。
私はまだ行ったことがないのですが、いつかは見学しに行ってみたいと思います。
縄文時代 農耕 日本の穀物栽培 とGoogleで検索すると、とあるPDFが出てきます
本題の「縄文人は農耕していたって本当?」の話ですが、Googleさんで「縄文時代 農耕 日本の穀物栽培」とキーワードを入れて検索してみると、国立歴史民俗博物館のPDF形式の報告書がでてきます。

キャプチャーで申し訳ないのですが、このような題名がGoogle検索結果として出てきます。
私はそれを会社で印刷して(21枚)休憩中読んでいました。
そこに「砂沢遺跡(青森県弘前市)」という青森県弘前市にある弥生時代前期の遺跡があるのですが、縄文時代後期から弥生時代前期への移り変わりを見ることのできる遺跡のようです。
この時代、青森県のところまで、稲作技術が伝わっていたのですね。
ここの遺跡からは、灌漑施設を備えた水田が6面発見されたようです。
難しい文章ではないので、読めばわかると思うのですが、日本の農耕は稲作から!という固定観念みたいなのが私の中から消えました。
よし!明日から米作っちゃうぞ!なんていういきなり現象は起きるはずもなく(というかイメージはそうだった)縄文時代でも、漆やクリの木、クリなんかは、ちゃんと実が大きくなるように、管理、選抜されていっているというから驚きです。
思えば、よく博物館に展示してある石器類を、いつもの使い方とは違う使い方、例えば、石の斧を打つだけじゃなくて地面を叩いてみる、そこから耕す道具にしてみるとか、持っているものの使いようによっては、道具の規模は小さくとも農耕なんて可能っちゃあ可能だなと思えます。
博物館などに行って出土品を見ていれば、学校で習った縄文人のイメージがガラっと変わります。
縄文時代って、ただただ獣を追っていたり、貝をひろっていたりしていただけではないのです。
ちなみに、農耕と栽培の違いについて私は、Googleさんに聞いてみた私です(笑)