博物館を見学し終わったあと、公園内にある弥生時代の住居を見学することにしました(博物館内の展示について前回の記事で書いています)
博物館から見ていた弥生時代の復元住居、遠目からじゃわからなかったけど、これが意外と大きいなと思いました。

田んぼのあぜ道を歩いていくと、復元住居に着きます。このあぜ道は、人が二人並んでやっと歩けるくらいの道幅でした。

青い空に映える弥生時代の復元住居。これが大きくて、がっちりしています。
ちなみに、ここの公園自体は24時間入ることができますが、住居の中にはいつでも入れるというわけではないようです。
復元された竪穴住居を見学しよう

この住居には、今でいう何世帯かで生活していたと思います(独身住居はないでしょう)独身という考え方もそもそもないと思うけど(笑)

博物館(1階の展示室)で説明がありましたが、ここ登呂遺跡の住居は、地面を掘ると水が出てきてしまうため、床を掘らずに、地面の高さそのままに、周りに盛土をしてから家を建てる構造になっています。

復元住居が並んでいます、何軒か扉が開いていて、中を見学することができます。

中に入ると・・・

竪穴住居の中は、けっこう広くて、防音性もありそうでした。

住居が撤去された跡も見学できます。



高床倉庫を見学しよう
弥生時代といえば、高床倉庫。稲作文化には必須の建物です。

高床倉庫の下には、おなじみのネズミ返しがあります。

どうやってこの中にお米を収納していたのか、詳しいことは博物館の模型で知ることができます。
扉みたいなのがなさそうなので、どうやってこの中に入れていたのか、不思議ですよね。


祭壇も見学していこう
富士山がある方向に、祭壇があります。
ここらへんの風景を、弥生時代どうだったのかな?と想像すると、いまより、山々が大きく見え、富士山なんか、もーっと大きく見えていたかもしれません(現代では、住居などで隠れてあまり見えませんが)
そんな中、大きな富士山を見ると、やっぱり、その大きさに圧倒されて、きっとあそこには、何かがいる!(神さまがいるみたいな)気持ちになっていたかもしれませんよね。
そう思うと、 私の勝手な想像だけど、この位置に祭壇があっても、納得できそうな気がします。


祭壇の近くに、田んぼの用水路があります。そこでみな網を持って、何かを取っているようでした。
近くにいた子供は、手にザリガニを持っていました。



最後に、弥生時代の人々の生活を知るには面白い登呂遺跡。
個人的には、弥生時代より古墳時代がいまのところ面白いと思っちゃうけど、歴史の勉強をしていて、ちょうど弥生時代のことが知りたいと思ったならば、登呂遺跡にちょっと足を運んでもいいのではないでしょうか。

【おまけ】登呂遺跡近くにある「もちの家」というお食事処でお昼ご飯
登呂遺跡の隣に「もちの家」というお食事処があります。
登呂遺跡がある場所は、安倍川という川に近く、安倍川といえば「安倍川もち」、もちの家も、安倍川もちを提供しているお店です。

地元の人たちのお食事処のようで、私はちょっと緊張してしまいましたが、優しいおじさん店員さんのおかげで、美味しいお蕎麦と安倍川もちをいただくことができました。



遺跡巡りをするときに、できればこういうお食事処も紹介できていければと思っています。