12月26日、千葉県千葉市若葉区にある日本最大級の貝塚『加曽利貝塚』に行ってきました。
北貝塚と南貝塚にわかれている加曽利貝塚、日本最大級の貝塚です。
北貝塚を見学し終わったあと、博物館に行きました。
加曽利貝塚縄文遺跡公園内にある博物館は、入場無料。
なんと!日本最大級の貝塚があるというのに、博物館は無料なんです!(驚き)
博物館の建物は昭和時代に建てられたものらしく、建物自体にも歴史を感じるところでした。

この写真に親子方々が写ってらっしゃるが、博物館の中を見学したことがあるのかないのか、入り口にある自動販売機で飲み物を買ってから、立ち去ってしまいました。
左側にある水飲み場は、縄文土器の形をしていて面白いです。
その奥がトイレ。

ちなみに、この水飲み場の土器は、博物館のマスコット「かそりーぬ」の頭の上に乗っかっていて、そしてこの土器は、縄文時代中期の土器で「加曽利E式」の深鉢土器です。

博物館のマスコット「かそりーぬ」は、たぶん犬でしょう。
博物館の中を見学していくと、縄文時代の人たちと犬との関わりについての展示があります。
それに関係して、だから犬なのか?と思ったけど、千葉県のマスコット『チーバくん』みたいに、千葉県に住む不思議ないきもので片付けられてしまうかもしれない、いや犬だと思いたい。
>>チーバくんの広場/千葉県(参考にリンクをつけておく)
貝塚の分布図
貝塚は、日本全国にあるが、特に多いのが関東だといいます。そして、日本海側には、貝塚は少なく、太平洋側に多いようです。
博物館に展示してある日本地図で確認できます。

ハマグリはいまでも美味しく、そして若干お値段が高いイメージ、そして千葉県の九十九里浜の名物になっていますが、加曽利貝塚で多く出ている貝の種類第2位がハマグリです。
縄文時代からハマグリの美味しさに気が付いていて、何千年もの時が経っていても、美味しいものは美味しいと、時代を超えて続いていくもんだなと感心しました。
アワビはいまでは高級貝として定着しているけど、縄文時代の人にとっては、ハマグリなどと同じ貝でしかなかっただろうと思うし、だから、大きさがどんぐらいであろうとも、アワビはアワビで、普通に縄文時代の人の食卓に並んでいたんだろうなと思います。
縄文時代から弥生時代の土器、そして古墳時代の須恵器

この大きさの違いを見て、ふとそんなことを思いました。




土器は、現代みたいに機械で作っているわけではないので(当たり前だけど)ひとつひとつ人の手作りであり、二度と同じ形はないといいます、そう思うと、土器の形を見ていると、縄文時代の人たちの生活が、ありありと見えてきそうです。

日常的に使われていたわけではなさそうな、異形台付土器で、主に、祭祀用かと書いてありました。

縄文時代から集落が営まれていた加曽利貝塚。
時代が進むにつれて、いろいろな事情で集落から離れていく人、集落に残る人と分かれていくだろうけど、古墳時代までもここに人が生活していただなんて、生活するには良い土地だったんだろうなと思います。


土偶と石棒
土偶は女性の特徴を表したものが多く、石棒は男性の男性器を表したものが多いようです。


発掘現場から出土する土偶は、基本的に壊れている状態で発見される場合が多いのです。
なぜかというと、壊すことによって願いをかける(簡単に言うと)ために意図的に壊されるのです。

石棒とは、男性の性器を表したものです。
石棒は、祭祀のときに使うもののようで、出土するときには、折れていたり、黒く焦げた跡?みたいなのがついて見つかるようです。
日本全国に土偶や石棒が見つかるとき、形やデザインは違うけれども、それぞれ使う用途は一緒なのでしょうか(祭祀用とか)
縄文時代だから弥生時代だからとかじゃなくとも、今みたいにそれぞれの土地に関わる?ネットワークみたいなのがあったんだろうなとも思います。
古墳時代の前方後円墳もそうだし、文明はいまよりも劣っているとはいえども、それなりに全国どこでも人の移動は活発だったんだろうなあ、なんて思ったりもします。
いまこの歳で、古代史をコツコツ勉強しているけど、学生の頃に勉強した古代史とは、全く違う世界が見えてきている自分です。
犬(動物)と人との関わり、食と装飾品

縄文時代も、犬と人間とは深い関わりを持っていたようです。
加曾利貝塚では、8体
以上の犬が、きちんと埋葬されていたようです。


鹿を見ると、水曜どうでしょうで登場するうれしーのセリフ「あ、シカでした」が頭に浮かぶ私ですが、縄文時代では、鹿は捨てるところがない万能な動物だったようです。



縄文土器には名前の由来になっている縄を用いた文様をはじめ、さまざまな文様がつけられており、地域や年代によってその特徴は異なる。
同じ地域の土器でも、少しずつ形や文様が変化していき、各特徴をもつ土器が初めて出土した遺跡の名前をつけて「〇〇式」としている。
この名前を古いほうから新しいほうに並べたものを「編年」といい、土器の文様などの移り変わりをしめすものさしとなっている。
博物館からいただいたパンフから
加曽利貝塚博物館で開催されていた企画展
加曽利貝塚に貝塚が形成されはじめた縄文時代中期後半の北西部地域から出土した土器が展示してありました。



ひねくれ者の縄文人の人がいたらきっと、土器にちょっとここをこうやって細工してやろうなんてやったら、何千年か後に、これはいままで出てきた土器とは違う、この土器の出てきた遺跡から〇〇式土器と名付けよう、みたいな、そんな展開になっちゃうのかな?なんて(意味不明な妄想だけど)思ったりしました(そんなこと考える縄文人なんでいるわけないけど)
私は、博物館内に置いてあるパンフレットも無料でもらってきて、とても得した気分になりました。
おわりに
縄文時代の人たちの生活、土器の様子、生で見られる貝塚、加曾利貝塚は日本最大級の貝塚です、縄文時代のことが知りたくなったら、ぜひとも大きい貝塚を見て、博物館で縄文時代を感じていただきたいと思います。
しかし、公園の半分は来年の3月まで工事があるようなので、工事が終わった春ごろになったら、なお貝塚散歩が気持ちよくなると思うので、ぜひとも見学していただきたいと思います。